銀河鉄道の夜 映画ネタバレ感想&考察

注意! ネタバレあり〼

©朝日新聞社/テレビ朝日/角川映画

銀河鉄道の夜
Kenji Miyazawa’s Night on the Galactic Railroad
NOKTO DE LA GALAKSIA FERVOJO

不思議な間のある映画。

アニメとして描きおこすためか、原作よりもはるかに丁寧に描写されており、

アンニュイな台詞回しや空気感、動き、色彩、音楽などの調和が見事で、とても美しい。

なぜ猫なのか?という抵抗感から観ないのはもったいない美しい作品だ。

制作サイドからでさえ、なぜ動物なのか?という疑問が出ても、めっちゃオモシロイ作品の二大巨頭。「銀河鉄道の夜」と「名探偵ホームズ」。

©RAI・TMS


オープニングは、黒い画面に青白い小さな点が明滅する。

ジョバンニが、此岸と彼岸のはざまである“幻想世界”へと入り込む様子も、丁寧に描写されている。

夜道で青く点っている電灯。
ジョバンニが下を通ると明滅を始め、すっかり通り過ぎてしまうとフッと消える。
茂みから青い蛍がふわりと浮かび出る。
この電灯は目印だ。
ジョバンニはこの電灯の明滅から、此岸と彼岸とが緩やかに重なりあう世界へと足を踏み入れて行く。

星祭りの広場で友達にからかわれ、走り出すジョバンニ。
橋の上で街の方を振り返る。
この「橋を渡る」という行為も明確に、此岸から彼岸へと入り込む暗喩だ。
ジョバンニが走り去ると、川の茂みから、またもや青い蛍が浮かび出る。

この蛍は亡くなった人の魂だ。
後半、氷山にぶつかって沈んでしまう人々の話にも、青い蛍がたくさん浮かんでくるのが描かれる。

オープニングで描かれた小さな点の明滅は、この蛍か、目印の電灯か、それとも賢治の言う「わたくしといふ現象」(『春と修羅』序)か。
或いはそれら全ての心象風景をイメージさせるものだろう。

牛乳屋のお婆さんも、丘への道も、すでに半分幻想の世界だ。
両側に木立とツリガネソウの花が咲く、細く長く光る真っ直ぐな道。
たどり着いた丘には一面ツリガネソウが咲いている。

ツリガネソウの学名は「カンパニュラ・メディウム」と言う。

天の川を見上げ、街の灯を寂しく見つめるジョバンニは、この丘から銀河鉄道に乗る。

ジョバンニはなぜそこまでカムパネルラに心を寄せるのか、少し疑問だった。
カムパネルラはジョバンニをからかったりはしないが、だからと言って助けてくれるわけでもない。
ただじっと黙っている。
なのにジョバンニは、カムパネルラに対してひたむきな友情を寄せている。
何故だろう。小さい頃はよく一緒に遊んだから、という理由だけでは考えにくい。
しかし銀河鉄道にカムパネルラも乗っているのを見て納得した。
ジョバンニがカムパネルラを想うように、カムパネルラもジョバンニの事を想っていたし、ジョバンニはその事を知っていたのだ。
だから二人で銀河鉄道に乗っていた。
カムパネルラがジョバンニと同じ気持ちでなければ、二人が銀河鉄道に乗る事はなかっただろうと思う。

銀河鉄道に乗るまでのジョバンニは、孤独で、ひねくれない美しい心を持ち、無表情に涙をこらえる、健気な寂しい少年だ。
ジョバンニが泣かないから、見ているこちらが泣いてしまう。
小さい頃、カムパネルラと一緒に汽車のおもちゃで遊んだのを思い出す、そのジョバンニの指先がとてもいじらしくて泣いてしまう。

カムパネルラと二人きりで銀河鉄道に乗っていることが嬉しいジョバンニは
「この汽車、石炭を焚いてないね」と何気ない疑問を口にする。
「アルコールか電気だろ」とカムパネルラが事も無げに答える。
小さい頃二人が一緒に遊んだ汽車は、アルコールランプで走るおもちゃだった。
銀河鉄道は、ジョバンニが大切にしている思い出と同じ原理で走る汽車なのだ。


音楽もとてもとても素晴らしく、細野晴臣氏の手によるもの。

怖くないよ。


原作では「三角標」と表現される星の描写を、この映画では光る三角錐で描いている。
この三角錐は、俗な言い方をすれば「ピラミッドパワー」を想起させ、無意識的にこの映画に宗教的なイメージを印象付ける。
この宇宙空間は「悟りの境地」に近い場所なのかもしれない。

星まつりの街で広場に向かう途中、時計屋の星座盤を見つめて幻想世界へと引き込まれそうになったジョバンニが、「ケンタウル露を降らせ」という子供たちの “言葉” によって引き戻されたのも理解できる。

意識と無意識、言葉と観念、第三次空間と第四次空間。
それらをこの映画は巧みに描き出し、アニメーションとして成立させている。

幻想的な風景の中を走る銀河鉄道。
リンドウがたくさん咲いているのを見つける二人。
リンドウの花言葉は「あなたの悲しみに寄りそう」
依存ではなく、二人はお互いに支え合い、寄り添い合っているのだ。

プリオシン海岸の大学士、鳥を捕る人、氷山にぶつかった子供たちなど、汽車に乗る人々との交流。
それらを通して、自分自身や相手の深奥を見つめる二人。

氷山の話の部分では、大きな事故に配慮して、キャラクターを猫ではなく人間の姿で登場させたという。
このキャラクターの混在が、第4次幻想世界の不思議な世界観に上手くハマったように思う。

“いちばんのしあわせ” について考えるカムパネルラは、ジョバンニよりも少し大人だ。
ジョバンニはカムパネルラに触発されて、自分の進むべき道を模索する。
一方カムパネルラは、映画のラストで大きな真っ暗な空の穴を見て震えるが、ジョバンニに励まされ、「一緒に進んで行こう」と言われて決心がつく。
カムパネルラもまた、ジョバンニがいなければ先へと進むことは出来なかっただろう。

「このままどこまでも一緒に行こう。そうだよ、僕はどこまでも君と一緒だ。」
「うん、僕だってそうだ」

「僕達一緒だね」と言われたカムパネルラの目に浮かぶのは、一緒に行けない寂しさの涙、そしてそれでも一人じゃないという安心の涙ではないだろうか。

カムパネルラは自分の道を進む決心をした。
大きな暗闇の中、カムパネルラには天上の野原が見えて、ジョバンニには現実の青く点るあの目印の電灯が見える。

カムパネルラが去って、ジョバンニは初めて涙を流す。

目が覚めて現実の世界に戻ったジョバンニの周りには、ツリガネソウの花はもう咲いていなかった。

二人の進む道は違ってしまった。
それでも二人の心はどこまでも一緒だ。

心の中に、どこまでも一緒に行くカムパネルラを獲得したジョバンニは、孤独だが、もう寂しくはない。

もう寂しくはないが、孤独。

どうかジョバンニの美しい心が、いつまでもいつまでも穏やかで安らかでありますように。

ジョバンニやカムパネルラが服を着ているのに、先生は素っ裸というツッコミは忘れない。


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新作はもちろん、旧作・名作を取り揃えているのはさすが!
「銀河鉄道の夜」ももちろん映画本編・サントラCDともにあります。


原作:宮沢賢治
監督:杉井ギサブロー
原案:ますむら・ひろし
脚本:別役実
音楽:細野晴臣
アニメーション制作:グループ・タック
製作年:1985年