セッション 映画ネタバレ感想&考察

注意! ネタバレあり〼

原題:WHIPLASH 意味:鞭で打つ、頸部障害(ドラマーの職業病でもある)

©2013WHIPLASH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

名門音大で行われる鬼教授フレッチャーの圧迫授業と、それに食らいつこうとする有能な生徒ニーマンのお話。

この映画については賛否両論あるらしい。
確かにあんな教師が本当にいたら、怖いしやり過ぎだし、あの教室にはいたくないと思う。
しかし、あそこまで酷くなかったにせよ、監督のデイミアン・チャゼルは実際に学生時代 鬼教師に出会い、恐怖を感じたことがあるらしい。
あながち全てがフィクションではないのである。
ちなみに監督は後に『ラ・ラ・ランド』を撮った人。

さて、フレッチャー教授は鬼のような人間である。

しかし彼を “音楽そのもの” と考えるとどうだろう。

フレッチャーは、音楽を具象化したモノ、いわば “音楽の運命” そのものとでもいうべき存在で、この映画はニーマンとフレッチャーの攻防の物語ではなく、

一流の音楽家がどのように音楽と対峙し、 一流であり続けるためにいかに精神と肉体を摩耗していくのかを、痛切に描き出しているとしたら。

そう考えると、恐ろしいフレッチャーのキャラクターにも納得がいく。

彼は演奏技術だけではなく、生い立ちや人種、容姿までをも痛烈に批判して、罵倒して、理不尽に生徒たちを追い込んでいく。

その批判は、音楽家が自らを否定する言葉かもしれない。
無責任な世間の口さがない中傷かもしれない。
正しい者が報われないことは当然にある。
そんなに上手くもないヤツが運よく生き残る事もある。
偉人たちの素晴らしい演奏やエピソードは、時に優しくモチベーションを高めてくれるだろう。
努力して、才能があって、ようやく認められて、音楽に愛し愛されても、自ら命を絶ってしまう音楽家だっている。

運命は実に気まぐれだ。

上手く出来たと浮かれていると、足元をすくわれる。
容赦なく自分の才能の無さを痛感させられる。
そんな自分が悔しくて涙が出る。
悔しければ練習するしかない。
そこで音楽を諦めたくなければ練習するしかない。

苦痛に顔を歪めながら、手から血を流し筋肉が限界を迎えても、体に鞭打って、拷問のような練習を続けるのだ。
狂おしいまでに音楽を愛しているから。


サウンドトラックも素晴らしく、この映画の原題『WHIPLASH』は劇中で使われるジャズの名曲のタイトルでもある。


ニーマンの所属バンドの練習室のドアに、フレッチャー教授の影が映るシーンがある。
バンドのメンバー全員が目撃する影。
それはまさに運命の影だ。
音楽を志す者なら誰もが憧れ、愛されることを渇望する運命。
その後、ただ一人ニーマンだけが、自らフレッチャー教授の練習室を覗きに行く。

やがてフレッチャー教授のバンドに引き入れられ、ニーマンはどんどん音楽に魅入られていく。

父親は息子を傷つけるフレッチャー教授に怒っているが、ニーマンは父親からの電話には出ずに、一心不乱に練習を続ける。

ニーマンだけではない。
彼とドラム主奏者の席を争うメンバーもまた魅入られている。
誰もが必死で、誰もが同じ渇望を抱えている。
そして音楽は誰にも冷酷に向き合う。

事故に遭い、手に怪我をして力が入らず、何度もスティックを落とすニーマンに、フレッチャーは「終わりだ」と宣告する。
ニーマンは、悔しくて憎くて教授にとびかかる「クソ野郎 殺してやる!死ね!フレッチャー死ね!」

この悔しさ憎しみは、思い通りにならない音楽への憤りだ。
愛憎入り混じる感情。愛しているからこその激情。

もう音楽はやめよう。

ニーマンは退学となり、音楽から離れた生活を始めようとする。

しかし音楽の影はどこに逃げても付きまとう。
運命は自分のコントロールの外にあって、ニーマンを捕えて離さない。
それもまた、ニーマン自身の内にある、音楽への愛ゆえだ。

偶然通りかかったバーで、フレッチャーが演奏しているのを見るニーマン。
そして運命は気まぐれに、優しく、彼をバンドへと引き戻す。 

映画のクライマックス。
ニーマンがいざ舞台に立つと、フレッチャーは冷たい言葉を吐き捨てる。
「俺を舐めるな、お前は無能だ」と嘲笑うフレッチャー。
フレッチャーの真意はどこにあるのか、最後まで分からない。
心底嫌な奴なのか、真実 音楽家を育てたいのか。

運命の真意が、人間に分かるハズもない。

ニーマンはドラムを叩き始める。
顔色を窺うのはのもうやめた、俺の音楽愛を聞けと言わんばかりに。
フレッチャーも抵抗を見せるが、ニーマンの魂の演奏にもはや黙るしかなかった。

ニーマンが音楽を制し、自分自身が音楽となる瞬間。

その瞬間を目撃し、言葉を失う父親の表情は、賞賛でもなく感動でもない。
それはまるで、悪魔の手に息子が落ちたような恐怖かもしれない。

最後の演奏シーンでは、ほとんどセリフがないにも関わらず、情動的な魂の叫びがありありと聞こえた。

一流の音楽家でもなんでもない私が、一流の音楽家の魂の摩耗をここまで痛切に疑似体験できたことはない。
ただ想像しただけでは得られない、リアルで甘美な痛みに襲われた。
最後の演奏シーンに至るまでに、理不尽に切ないまでに描かれた、二人のせめぎ合いがもたらした情動だろう。

ニーマンは音楽に愛し愛された。
幸運なことだろう。
しかしこの先、真意の掴めない、時に理不尽な音楽と共に生き続けなければならない。
それはきっと悲劇にもなり得る。
ショーン・ケイシーもチャーリー・パーカーも、その深すぎる愛ゆえに死んだのだ。


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本作品の配信情報は2019年11月29日時点のものです。
最新の配信状況についてはホームページをご確認ください。

監督・脚本:デイミアン・チャゼル
撮影:シャロン・メール
音楽:ジャスティン・ハーウィッツ
製作年:2014年 / アメリカ